top of page

「誰かの記憶の中の私」

私はよく殺人事件や死刑囚の本を読む。

この死刑囚がもし普通の家庭に産まれて愛を受けてたらこうはなってなかったと思うし、死刑を下すことよりも何故犯人がここまで至ったのかを把握して加害者の心のケアをすべきなんだよね。

 


退勤した通勤電車で読みながら帰り道に色々と考えるのが私のルーティン。
 


私には私だけのルーティンが必ず存在する。
それを計画かの様にこなす時が幸せである。

 


色んなニュースを毎日目にする。

その度に澱んで矛盾した世界が嫌になる。

正しい事が間違ったように金や権力でねじ曲げられる世界が嫌いだ。

私は欲を言えば地球上全員が幸せになって欲しいしそして世界が平和になって欲しいと願うけど、それは絶対に不可能だ。

 

私が生きてる間には到底叶わない。

私が幸せな時に誰かは辛い思いをしてて私が辛い時が誰かにとっては最高の一日なのかもしれない。
そう考えると"世界中皆んなが幸せになる"なんて不可能だ。

そんなのは分かってる。
 


だからこそ私は自分の仲良い周りの人達だけは幸せでいて欲しい。


このコミュニティーの中だけでは淀みのない潔白で優しい空間を作り上げたい。


私は今まで自分の為に、自分のしたいようにを一番に考えて生きてきたけど、ふとそれが「他人の為に」にイコールで繋がってる事に気付いた。
 


私が幸せになりたいから誰かに尽くすし優しくする。
見返りを求めると言うよりは自分が幸せになる為にそうするのだ。

幸せを求めて辿り着いた先が本当に幸せとも限らないよな。


 

私は自分の一番輝いてる全盛期を相手の記憶に残して生涯を終えたいと思う事があるのです。

好きな人達に苦しんでいる自分の弱った姿を見せる必要は無いなと思うのです。
好きな人達だからこそ最高の全盛期の私を覚えていて欲しいし、そして努力して実って自分自身が満足した瞬間に全てを手放してしまうかもしれません。
そこで気付くかもしれません。

目標に辿り着いた自分よりも目標に辿り着くまでに色んな思いを抱え地道に頑張ってたあの頃が一番輝いてたのだろうと。


手に入れる為に頑張ってるのに手に入れる事を恐れてるなんておかしな話だけど。

そして居場所を得たとしてもまた新しい不安が生まれ、解決してはまた不安にかき乱されて、それを繰り返して歳を取っていくのだろう。

一番輝いてる自分を最後に残すのも一つの美しい生き様であるなと。

 

 


最後に見た印象が落ちぶれた自分では無く、現役でキラキラ輝いてる自分。
下り坂を見せずに美しい状態を人々の記憶に焼き付けて消えていく

 


それも一つの決断であって生き方である。

bottom of page