「優しい世界に浸ってたい」
お世辞にも活性化してるとは言えないショッピングモールの地下にひっそりと佇む喫茶店。
こう言う施設を見ると、直ぐにもっとこう言うのがあったりこういう風にしたら集客/活性化させられそうだなー!とか考えちゃう癖。
広い店内に飛び交う常連さんと店員さんの声。
「それじゃ行ってくるねー」
「頑張ってきてねー」
「ごちそうさま、また来るね」
「いつもありがとね、また待ってるね」
落ち着いた店内にBGMで流れてくる昭和の曲と共にそんな言葉達が飛び交う。
何て居心地がいいのだ。
食券で買うおじいちゃん達が小銭を手のひらに乗っけてジャラジャラと探る光景。
お婆ちゃんが歩き疲れて休憩に来たのか座ってぼーっとお茶を飲む光景。
机いっぱいに新聞を広げて読むおじさん。
そんな光景を横目にナポリタンを頬張る。
喫茶店のナポリタンってなんでこんなに美味しいんだろう。
美味しい。空間と合わせて食べるからもっと美味しい。
こう言った昔ながらのアットホーム感だったり優しさをたまに凄く感じたくなる。
こういう空間が日常の私を支えてくれる。
そんな私の幸せ。
日々の小さな出来事が私にとって幸せであるし、もし大きな幸せが訪れたとしても何か悪い事が起こるのではないか、この日常の小さな幸せが無くなる事が怖くも感じる。
もし今より大きい幸せを求めに行った時に今の幸せよりも幸せを感じなかったらどうしようと言う無駄な考えが邪魔をする時がある。
誰でも夢を追って必死に頑張ってる事があるだろうけど、もしそこに辿り着いたときに自分が思ってたよりも「幸せじゃ無い」と感じてしまう瞬間を恐れているのだろう。
ずっと優しい世界に浸ってたいしそんな環境に囲まれてたいけど、いざ自分と真逆のタイプと出逢った時に免疫力が落ちてて凄く落ち込む自分がいる。
少しの態度や言葉で奈落の果てまで落とされたかのようにメンタルにズサッとくる。
優しい世界にずっと浸ってたいけど時には厳しい状況に自分から立ち向かっていかなきゃ駄目だなと感じた。
居心地の良さに依存しないようにしなきゃ。
でも、もうちょっと。もうちょっと。
と優しい世界に甘えてしまう。
人生には何かを得る為には何かを諦めなければならないだとか選択を求められる時が必ず来るのだとしたら何を優先するだろうか。
例えば永遠のテーマの仕事か恋愛か。
私は「自分の人生」を優先する。
自分の人生を基準に考えてそこに必要なモノだと感じたら努力して手に入れる。
お金の為にさほど好きでもない仕事をする気持ちにもなれないし、肩書きだけの為に恋愛をする気持ちにもなれないし「何となく」で生涯を終える事だけはしたくない。